11月6日はアパート記念日【今日は何の日?】

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日本初の木造アパート「上野倶楽部」:1910年の住宅史に刻まれた革新

1910年(明治43年)11月6日、東京・上野に日本初の木造アパートが完成しました。このアパートは「上野倶楽部」と名付けられ、洋風の外観を持つ5階建ての賃貸アパートで、70室の部屋が設けられていました。上野公園に隣接したこのアパートは、当時の住居としては非常に先進的なものでした。

上野倶楽部の特徴と住民層

「上野倶楽部」は、洗面所や浴槽、電話などの設備が共同で使用されており、入浴時には実費がかかるシステムでした。当時の居住者の多くは公務員、会社員、教師といった職業の人々で、独身者はおらず、さらに日本人以外にもロシア人やフランス人などの外国人が住んでいたことが特徴です。

特に注目の点は、詩人の西條八十(さいじょう やそ)がこのアパートに住んでいたことです。彼はここで有名な童謡『かなりあ』を作詞したとされています。この作品は、曲がついた初めての童謡として発表され、その後、日本で童謡に音楽が付けられることが一般化するきっかけとなりました。

そもそもアパートとは?

アパートは、建物の内部を複数の独立した住居として区切り、居住用に提供する集合住宅です。この言葉は英語の「apartment」から派生した和製英語で、フランス語では「appartement」となります。

日本では、比較的規模が大きく、豪華な集合住宅を「マンション」と呼ぶことが多いですが、この用語は日本独自のものであり、本来の「マンション」は「豪邸」を意味します。

関東大震災と集合住宅の進化

1923年(大正12年)の関東大震災により、木造家屋が密集した市街地は甚大な被害を受けました。その後、東京や横浜では、より耐震性の高い鉄筋コンクリート造(RC造)の集合住宅が建設され始めました。この動きの象徴となったのが、同潤会アパートです。

 同潤会アパートは、当時最先端の設備を備えた都市型の集合住宅で、電気、都市ガス、水道、ダストシュート、水洗式便所といった近代的な設備が完備されていました。これにより、都市居住者の生活の質が向上し、同潤会アパートは居住者にとって快適かつ先進的な住環境を提供する住宅モデルとなりました。

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