4月4日は「沖縄県誕生の日」
沖縄県誕生の日とは?
1879年(明治12年)4月4日、日本政府による「琉球処分」によって琉球藩が廃止され、新たに「沖縄県」として設置されたことを記念する日です。沖縄県では、この日を「沖縄県誕生の日」と定めています。
この出来事は、沖縄の歴史にとっての大きな転換点になり、琉球王国から沖縄県への変遷を象徴する重要な出来事です。沖縄の人々にとっては、複雑な歴史の背景を持つ日でもあります。
沖縄県誕生の歴史的背景
琉球王国と日本の関係
沖縄県が誕生する以前、沖縄には独立した琉球王国が存在していました。琉球王国は1429年に成立し、中国(明・清王朝)と日本(薩摩藩)との間で貿易を行いながら、独自の文化と政治体制を築いていました。
しかし、1609年に薩摩藩(現在の鹿児島県)による侵攻を受け、琉球王国は薩摩の支配下に入ります。それでも、琉球は形式上独立国として存続し、中国との朝貢関係を維持しながら独自の王国体制を続けていました。
明治維新と「琉球処分」
明治時代に入り、日本政府は中央集権化を進めるための政策(廃藩置県)を実施しました。
その流れの中で、琉球藩も日本の完全な一部として組み込まれることになります。
- 1871年(明治4年):日本全国で「廃藩置県」が実施され、各藩が廃止されて県が設置される。
- 1872年(明治5年):琉球王国は「琉球藩」として日本の一部とされる。
- 1879年(明治12年):日本政府が琉球藩を廃止し、沖縄県を設置。
この一連の流れを沖縄では「琉球処分」と呼ばれています。
1879年(明治12年)4月4日、沖縄県誕生
1879年4月4日、日本政府は琉球藩の政府が置かれていた首里城に警察官や軍隊を派遣し、琉球藩を強制的に廃止しました。そして、これまで琉球王国の王であった尚泰(しょうたい)王を東京へ移住させることで、沖縄を日本の直轄地としました。
こうして、琉球王国は完全に滅亡し、日本政府の管理下のもと「沖縄県」が誕生いたしました。
沖縄県誕生後の変化
政治・経済の変化
琉球王国がなくなり、沖縄県となったことで、日本の統治体制が本格的に導入されました。
- 日本の行政制度が適用される
- 琉球の伝統的な税制度が廃止され、日本式の税制が導入される
- 教育制度の変更(日本語教育が本格的に始まる)
- 貿易の変化(琉球時代の中国貿易が縮小)
これにより、否応なく沖縄の方々の暮らしは大きく変わっていきました。
文化・言語の変化
沖縄県が誕生したことで、日本本土の文化が急速に広がりました。しかし、それは同時に琉球の伝統文化や言語(琉球語)の衰退も意味していました。
- 琉球語の使用が制限され、日本語教育が強化
- 琉球独自の伝統行事や習慣が変化
- 日本の宗教・信仰の影響が強まる
特に、明治政府は日本語教育を積極的に推進し、琉球語を話すことを禁止する「方言札」という制度も導入され、さらに日本化がすすむこととなります。
沖縄戦と第二次世界戦後の歴史
廃藩置県の後、日本の一部として歩んできた沖縄県でしたが、第二次世界大戦では沖縄戦が勃発し、多くの人々が犠牲となりました。戦後はアメリカの統治下に置かれ、1972年に本土復帰するまでの間、沖縄は日本とは異なる統治体制が続きました。
そのため、沖縄の歴史を振り返る際には、琉球王国時代・日本統治・アメリカ統治・本土復帰という大きな流れを理解することが重要です。
沖縄県と琉球王国の名残
沖縄県が誕生した後も、琉球王国時代の名残は現在も多く見られます。
首里城
首里城は、琉球王国の政治・文化の中心地として栄えました。現在は沖縄観光の名所となっており、世界遺産にも登録されています。(※2019年に火災で焼失、現在復興中)
琉球料理
沖縄そば、ゴーヤーチャンプルー、ラフテーなど、琉球時代から続く料理が今も愛されています。
琉球舞踊・伝統音楽
エイサーや三線(さんしん)など、琉球王国時代の文化が今も継承されています。
まとめ
「沖縄県誕生の日」は、1879年4月4日に琉球王国が滅亡し、沖縄県として日本の一部になったことを象徴する日です。この出来事は「琉球処分」として沖縄の歴史に刻まれ、現在の沖縄県の基盤を築く重要な転換点となりました。
沖縄は、琉球王国の独自の文化、日本の統治、そして戦後のアメリカ統治を経て、今もなお独自の文化と歴史を持つ地域として発展を続けています。
4月4日には、沖縄の歴史を振り返り、その豊かな文化と平和への願いを改めて考える日としましょう。

「琉球王国から沖縄県へ。歴史を知ることで未来が見える!琉球王国はどうすればよかったのだろうか!」