12月4日は「血清療法の日」
1890年(明治23年)の12月4日、日本の北里柴三郎とドイツのエミール・ベーリングが連名で発表した血清療法。この画期的な発見は、感染症治療に新たな道を開きました。「血清療法の日」は、彼らの功績を称え、医学の進歩を祝う日として記念されています。
血清療法とは?
血清療法は、当時致命的だった感染症の治療法です。まず、少量の病原菌を動物に注射し、その体内で抗体を生成させます。この抗体が含まれる血清を患者に注射することで、毒素を中和し、感染症を無力化する仕組みです。特に、破傷風やジフテリアの治療で大きな効果を示し、世界中で多くの命を救いました。
日本の細菌学の父、北里柴三郎
北里柴三郎(1853〜1931年)は、「日本の細菌学の父」と呼ばれるほど、日本における感染症研究を牽引した人物です。ペスト菌の発見や破傷風治療法の開発など、多くの功績を残し、日本の医療研究に大きく貢献しました。また、彼は私立伝染病研究所(現:東京大学医科学研究所)や北里研究所を創設し、これらの機関を通じて日本の感染症研究を支える基盤を築きました。
エミール・ベーリングとノーベル賞
エミール・ベーリング(1854〜1917年)は、ジフテリアの血清療法の功績で1901年に第1回ノーベル生理学・医学賞を受賞しました。彼のジフテリア研究はフランスのエミール・ルーの毒素発見の知見も活用し、感染症治療に大きな進展をもたらしました。ベーリングも自身の成果が北里の破傷風研究に多くを依拠していることを認め、北里への敬意を表しています。
北里のノーベル賞への道
北里はノーベル賞を逃しましたが、1901年の最初の生理学・医学賞候補15名のうちの一人として名前が挙がっていました。ベーリングがジフテリアに関する論文を別に発表していたこともあり、最終的に単独受賞に至ったとされていますが、北里とベーリングの共同研究は、血清療法の確立に欠かせないものでした。
まとめ
「血清療法の日」は、北里とベーリングが感染症治療に貢献した意義を改めて振り返る日です。彼らの研究は、後の抗生物質の開発にもつながり、現代医療の基礎を築くものでした。感染症の歴史や治療法の進展を知ることで、今の医療への理解も深まります。
この「血清療法の日」に、医学の進歩とそれを支えた人々への感謝の気持ちを持ち、未来の医療への期待を込めて彼らの業績を称えましょう。