6月7日は「母親大会記念日」
日本母親大会について
1955年(昭和30年)6月7日、東京・豊島公会堂で第1回日本母親大会が開催されました。約2000人が参加したこの大会は、母親たちが社会問題に対する意識を高め、社会活動への意欲を鼓舞する重要な機会となりました。
記念日の由来と背景
1954年(昭和29年)、アメリカがビキニ環礁で水爆実験を行ったことがきっかけで、日本婦人団体連合会は国際民主婦人連盟に原水爆禁止を提案しました。この提案により、世界母親大会がスイスで開催されることになり、それに先立って日本でも第1回日本母親大会が開催されました。この大会では以下のような社会的な申し合わせが行われました。
- 「嫁をもらう、娘を片付けるなどの言い方をやめ、結婚と言おう」
- 「主人と呼ばず夫と呼ぼう」
- 「女だてらに、という言い方はやめよう」
大会の目的とスローガン
この大会の原点は、「原水爆禁止」と「子どもの生命を守る」という訴えです。これを基盤に、母親たちが「生命を生み出す母親は、生命を育て、生命を守ることを望みます」のスローガンの下に集い、さまざまな社会問題について議論し、行動を促す場として機能しています。
歴史と開催状況
1955年の第1回大会以来、毎年開催されており、以下のような特徴があります。
- 初期の大会は東京で開催されましたが、1962年の第8回大会以降は各地で持ち回り開催となりました。
- 大会は通常2日間行われ、1日目は全体会、2日目は分科会が行われます。
- 記念講演や教育問題、社会問題に関するシンポジウムなどが開催されます。
- 参加者は47都道府県の実行委員会や50の中央団体から成り立っています。
- 「母親」は「母性を持つすべての女性」を指し、男性や未婚者、子どもも参加可能です。
影響と意義
日本母親大会は、母親たちの社会活動の意欲を高め、広く社会問題に対する意識を高めるための重要なイベントです。この大会は、原水爆禁止運動をはじめとする平和運動、子どもの生命を守るための活動、女性の地位向上、教育問題への取り組みなど、多岐にわたる議題を取り扱っています。